脳出血後、なぜ歩けなくなるのか?
「脚」ではなく「脳」から考えてみましょう
「脳出血をしてから、歩けなくなってしまった」
「脚をケガしたわけではないのに、どうして歩けないの?」
脳出血のあと、患者さんやご家族からこのような質問を受けることがあります。
確かに、脚を骨折したわけでも、筋肉を大きく傷めたわけでもないのに、急に歩けなくなってしまう。初めてその状況に直面すると、不思議に感じるのも当然だと思います。
最初に結論をお伝えします。
『脳出血のあとに歩けなくなる大きな理由は、脚そのものが壊れたからではありません。』
『脚を動かしたり、脚の位置を感じたり、体のバランスを取ったりする“脳の仕組み”が、脳出血によって傷つくからです。』[1][2]
私たちは普段、歩くことをあまり意識していません。
ところが実際には、「歩く」という動作の中で、脳は非常に多くの仕事を同時に行っています。
今回は「脳出血後、なぜ歩けなくなるのか?」について、できるだけ難しい医学用語を避けながら、順番に説明していきます。
そもそも「歩く」ために、脳は何をしているの?
普段歩いているとき、
「まず右脚を前に出して」
「次に左脚を出して」
「少し体が傾いたから戻して」
などと、一つひとつ頭の中で確認しながら歩く人はいないと思います。
私たちが意識していないところで、脳がほぼ自動的に処理してくれているからです。
脳は歩いている間、
①脚を動かす
②力加減を調整する
③足の裏の感覚を受け取る
④体の傾きを感じる
⑤バランスを修正する
⑥周囲を見ながら進む
といった仕事を同時にこなしています。
ですから、「歩く」というのは単に脚の筋肉を動かせばできる運動ではありません。
『脳・神経・感覚・筋肉・バランス機能を総動員して行う、とても高度な動作なのです。』
脳卒中のあとには、筋力低下だけでなく、感覚障害、痙縮、運動を細かくコントロールする力の低下、バランス障害など、いくつもの問題が重なって歩きにくくなることが知られています。[3]
脳出血後に歩けなくなる「6つの理由」
① 脳から脚へ「動け」という命令が届かなくなる
まず、多くの方がイメージしやすいのが『麻痺(まひ)』です。
脳には、
「脚を上げる」
「膝を伸ばす」
「足首を動かす」
といった運動の指令を出す場所があります。
そこで作られた命令は、神経という“電線”のような通り道を伝わり、脊髄を通って、最終的に脚の筋肉へ届きます。
この大切な通り道の一つが、『錐体路(すいたいろ)・皮質脊髄路』と呼ばれる神経経路です。
特に「内包(ないほう)」という場所には、体を動かすための神経線維が非常に密集しています。ここが脳出血によって傷つくと、反対側の手足に強い麻痺が起こることがあります。[4]
たとえば……
右の脳の深い部分で脳出血が起こり、運動に関係する神経が傷ついたとします。
その場合、
『右の脳 → 左脚』
へ送られるはずの命令がうまく伝わらなくなります。
本人は、
「左脚を前に出したい」
と思っている。
ところが、思うように脚が動かない。
脚の筋肉そのものがなくなったわけではありません。
でも、『脳からの命令が届かない。』
脳卒中後の麻痺を理解するときには、この考え方がとても大切です。
② 「自分の脚がどこにあるのか」がわかりにくくなる
歩くためには、筋力だけではなく『感覚』も欠かせません。
少し試してみてください。
目を閉じていても、
「右脚が前にある」
「膝が曲がっている」
「足の裏が床についている」
ということは、ある程度わかると思います。
これは、筋肉や関節などから送られてくる情報を脳が受け取り、体の位置を把握しているからです。
この能力を『位置覚・固有感覚』と呼びます。
脳出血によって感覚を処理する神経が障害されると、
「脚はある程度動くのに、どこにあるのかわかりにくい」
という状態になることがあります。
実際には……
脚の力を診察すると、ある程度しっかり力が入っている。
ところが立ってもらうと、
「怖い」
「脚がどこにあるかわからない」
「足の裏が床についている感じがしない」
と訴える患者さんがいます。
このような場合には、単純に筋力だけの問題として考えることはできません。
『筋力だけを鍛えれば歩けるようになるとは限りません。』
歩くためには、自分の脚や足の裏から伝わってくる感覚を脳が正しく受け取ることも非常に重要なのです。[3]
③ バランスを取れなくなる
歩くという動作を少し違った角度から考えると、
『「わざと片脚立ちになり、それを交互に繰り返す運動」』
とも言えます。
右脚を前に出す瞬間には左脚で体重を支え、次には右脚で体を支える。
私たちは、それを何度も繰り返しながら前へ進んでいます。
しかも、その間に脳は、
「少し右に傾いた」
「前へ倒れそうになっている」
「次の一歩では体を少し戻した方がよい」
といった情報を絶えず受け取り、筋肉を細かく調整しています。
脳出血によって、このバランス調節の仕組みが障害されることがあります。[1][3]
特に『小脳』は、体のバランスを保ったり、動きを滑らかに調整したりする重要な場所です。
こんな患者さんもいます
脚の筋力を調べると、それほど弱くない。
ところが、いざ立ってもらうと、
フラフラする。
まっすぐ立ち続けられない。
一歩足を出しただけで、体が大きく傾いてしまう。
この場合、「脚の筋肉が弱いから歩けない」と考えるだけでは説明できません。
『「脚の力」より「バランス」の問題が歩行を邪魔している可能性があります。』
ですから、
『「力がある=歩ける」ではないのです。』
④ 筋肉が勝手につっぱってしまう
脳卒中のあと、時間がたってくると、
「脚がピーンと伸びる」
「足首が内側に曲がってしまう」
「歩こうとすると脚全体が棒のようになる」
といった症状が出てくることがあります。
これが『痙縮(けいしゅく)』です。
これは、筋肉そのものが壊れたという意味ではありません。
脳から筋肉に対して行われている「必要のない力は抜きなさい」という調節がうまく働かなくなり、筋肉が必要以上に緊張してしまう状態です。
脳卒中後の歩行障害では、麻痺だけではなく、この痙縮も歩きにくさの原因になります。[3]
たとえば……
本人は脚を前へ出そうとしている。
ところが膝がうまく曲がらない。
足首も下向きにつっぱってしまう。
そうすると、つま先が床に引っかかりやすくなります。
転ばないようにしようとすると、自然に、
『脚を外側へ大きく回して歩く』
ようになることがあります。
こうした歩き方を見て、「もっと普通に脚を出せばいいのに」と思うかもしれません。
しかし、本人が努力していないわけではありません。
脳から筋肉へのコントロールが変化した結果として起きていることなのです。
⑤ 「歩くことへの注意」がうまく働かなくなることもある
歩行には、脚を動かす能力だけではなく、『注意力や空間認識』も必要です。
たとえば、
「左側にある障害物に気づかない」
「自分の左半身を意識しにくい」
「歩きながら話しかけられると、急に歩きにくくなる」
「二つのことを同時に行うと動作が乱れる」
といった高次脳機能の問題があると、脚の筋力がある程度回復しても、安全に歩くことが難しい場合があります。
脳卒中後の認知・注意機能の障害は、歩行やバランス、さらには転倒のリスクにも影響することが報告されています。[5]
この点は、外から見ただけではわかりにくいことがあります。
脚は動いている。
筋力もある程度ある。
それでも歩行が安定しない。
そういう患者さんでは、脚以外の機能も含めて考える必要があります。
『歩行訓練なのに、脚だけを診ていてはいけないことがあるのです。』
⑥ 動かない期間が続いて、体そのものが弱くなる
もう一つ、見落としてはいけない原因があります。
それが、
『「脳の障害」とは別に起こる体力低下』です。
脳出血を発症して入院すると、どうしてもベッドで過ごす時間が増えます。
これまで毎日歩いていた人が、急に長い時間横になって生活するようになるわけです。
すると、
- 脚の筋力が低下する
- 体幹の筋力が低下する
- 心肺機能が低下する
- 関節が硬くなる
- 疲れやすくなる
といった変化が起こります。
もともと脳出血による麻痺や感覚障害があるところへ、このような体力低下まで加わる。
その結果、「立つ」「一歩出す」「数メートル歩く」といった動作が、さらに難しくなってしまうのです。
同じ「歩けない」でも、原因は人によって違います
患者さんを診ていると、「歩けない」という一つの言葉だけでは、その人の状態を十分に説明できないことがよくあります。
たとえば3人の患者さんが全員、
『「脳出血後、歩けません」』
と言ったとします。
しかし、実際に体の状態を詳しくみてみると、
Aさん
左脚に強い麻痺があり、脚を前へ出せない。
Bさん
脚の力は比較的残っているが、感覚が悪く、立つと不安定になる。
Cさん
脚は動くが、痙縮によって足首がつっぱり、つま先が床に引っかかる。
ということがあります。
3人とも、日常生活では「歩けない」という同じ状態です。
しかし、『歩けない理由はまったく同じではありません。』
AさんとBさんとCさんでは、歩行を妨げている原因が違います。
原因が違えば、当然、評価すべきところやリハビリテーションで重点を置くところも変わってきます。
だからこそ、
『「歩けるか、歩けないか」だけを見るのではなく、「なぜ歩けないのか」を調べることが大切です。』
脳出血した場所によっても症状は変わります
脳出血では、『どこに出血したか』によって後遺症の現れ方が大きく変わります。
同じ「脳出血」という病名であっても、傷ついた場所によって症状は同じではありません。
たとえば、
被殻・内包周辺
運動神経の重要な通り道が障害されると、反対側の手足に強い麻痺が起こることがあります。[4]
視床周辺
感覚障害が強く現れたり、周囲の内包まで影響すると麻痺を伴ったりすることがあります。
小脳
筋力が比較的保たれていても、ふらつきや運動失調によって歩くことが難しくなることがあります。
このように、同じ「歩けない」という症状であっても、その背景にある脳の障害は患者さんごとに異なります。
そのためCTやMRIで、
『「脳のどこが、どの程度傷ついているのか」』
を見ることは非常に重要です。
画像だけですべてが決まるわけではありませんが、脳のどこに障害が起きているのかを知ることは、症状を理解するうえで欠かすことができません。
「歩けない」という言葉だけで、回復の可能性を判断しない
脳出血後の回復には、大きな個人差があります。
出血した場所。
出血の大きさ。
年齢。
発症したときの重症度。
感覚障害の程度。
高次脳機能障害の有無。
痙縮の程度。
そして体力。
こうした多くの要素が重なり合って、その人の歩行能力や回復経過に影響します。
したがって、
『「発症から○年経っているから、もう何もできない」』
と、経過した時間だけで判断することは適切ではありません。
一方で、
『「リハビリをすれば必ず歩けるようになる」』
と考えることも適切ではありません。
脳卒中の後遺症には一人ひとり違いがあり、回復の程度にも個人差があるからです。
大切なのは、
『現在残っている機能と、歩行を妨げている原因を一つひとつ評価することです。』
今どの筋肉が動くのか。
どの程度感覚が残っているのか。
バランスはどこまで保てるのか。
痙縮は歩行にどの程度影響しているのか。
こうした点を一つずつ確認していく必要があります。
脳卒中後のリハビリテーションでは、多職種による評価や、患者さんに合わせた歩行・バランス・機能訓練が重要とされています。[1][6]
脳卒中再生医療センターが考える「歩行改善」
脳卒中再生医療センターでは、脳梗塞・脳出血などによる後遺症に対し、『骨髄由来間葉系幹細胞を用いた再生医療と脳卒中後のリハビリテーション』に取り組んでいます。[7]
ただ、ここでぜひ知っておいていただきたいことがあります。
『再生医療だけを行えば歩けるようになる、という単純な話ではありません。』
同じように「歩きにくい」「歩けない」という患者さんであっても、
- 麻痺が問題なのか
- 感覚障害が問題なのか
- 痙縮が問題なのか
- バランスが問題なのか
- 高次脳機能が影響しているのか
によって、考えるべきアプローチは変わります。
麻痺が強い方と、感覚障害が強い方では違います。
脚の筋力が比較的残っていても、バランスが大きく崩れている方もいます。
痙縮のために、思うように足を前へ出せない方もいます。
ですから、「脳卒中後に歩けない」という一つの症状だけを見て、すべての患者さんに同じ考え方を当てはめることはできません。
また、脳卒中に対する細胞治療・再生医療は研究と臨床応用が進められている領域ですが、すべての患者さんに一定の効果が保証された標準治療ではありません。
この点を曖昧にしたまま、再生医療だけを強調するべきではないと考えています。
だからこそ私たちは、
『「再生医療をするかどうか」だけではなく、まず患者さんの脳と身体に何が起きているのかを考えることが重要だと考えています。』
そのうえで、どのような治療やリハビリテーションの選択肢が考えられるのかを検討していくことが大切です。
最後に
脳出血によって歩けなくなった患者さんを見ると、多くの方はまず「脚」に目がいきます。
脚が上がらない。
膝が曲がらない。
足を引きずっている。
確かに、外から見えるのは脚の動きです。
しかし、本当に見なければならないのは、
『脚だけではありません。』
脳です。
感覚です。
バランスです。
筋肉の緊張です。
注意力です。
そして、それらを組み合わせて初めて、
『「歩く」という動作が生まれます。』
脳出血後に歩けなくなったとき、
「もう歩けない」
と結果だけを見て結論を出す前に、
まず、
『「なぜ歩けないのだろう?」』
と考えてみてください。
脚を前へ出すことができないからなのか。
感覚がわかりにくいからなのか。
バランスが保てないからなのか。
痙縮が歩行を邪魔しているのか。
原因が違えば、考えるべき治療やリハビリテーションも変わってきます。
脳卒中再生医療センターでは、脳卒中後遺症についての正しい知識をできるだけわかりやすくお伝えしながら、患者さん一人ひとりの状態を考え、その方にどのような選択肢があるのかを一緒に考えていきます。
参考文献
[1]Greenberg SM, et al.
2022 Guideline for the Management of Patients With Spontaneous Intracerebral Hemorrhage. American Heart Association/American Stroke Association.
公開日:2022年5月17日。脳出血後の回復・リハビリテーション、多職種介入などについて参照。
[2]National Institute of Neurological Disorders and Stroke(NINDS)
Stroke Overview / Signs and Symptoms / Assess and Treat.
2026年8月23日確認。脳卒中による麻痺、歩行障害、バランス障害、感覚障害について参照。
[3]VanGilder JL, et al.
Post-stroke cognitive impairments and responsiveness to motor rehabilitation: A review. Current Physical Medicine and Rehabilitation Reports.
公開日:2020年9月10日。脳卒中後の筋力低下、痙縮、感覚・固有感覚障害、歩行・バランス障害について参照。
[4]Emos MC, et al.
Neuroanatomy, Internal Capsule. StatPearls / NCBI Bookshelf.
最終更新:2023年6月5日。内包と運動・感覚経路、反対側の片麻痺について参照。
[5]VanGilder JL, et al.
同上。注意・実行機能などの認知機能と歩行・バランス、転倒リスクとの関係を参照。
[6]日本脳卒中学会 脳卒中ガイドライン委員会
『脳卒中治療ガイドライン2021〔改訂2025〕』
改訂項目公開:2025年6月30日、書籍発行:2025年8月。最新版ガイドラインであることを2026年8月23日に確認。
[7]脳卒中再生医療センター
骨髄由来間葉系幹細胞を用いた治療およびリハビリテーションについて。2026年8月23日確認。
