脳卒中になると、なぜ失語症が起こるのか?
「口」ではなく「脳の言葉のしくみ」から考えてみましょう
「言いたいことは頭に浮かんでいるのに、言葉が出てこない」
「話しかけられているのはわかる。でも、何を言われているのかわからない」
「昨日まで普通に話していたのに、脳卒中のあと急に会話ができなくなった」
脳卒中のあと、患者さんやご家族から、このようなお話を聞くことがあります。
失語症は、ご本人だけでなく、ご家族にとっても、とても戸惑いの大きい症状です。
「耳は聞こえているはずなのに、どうして話が通じないのだろう?」
「口も舌も動いている。それなのに、なぜ言葉が出てこないのだろう?」
初めて失語症に直面したご家族が、そう感じるのは自然なことだと思います。
まず最初に、結論からお伝えします。
『脳卒中によって失語症が起こる大きな理由は、口や舌そのものが悪くなったからではありません。』
『言葉を聞く、意味を理解する、言いたい言葉を探す、文章を組み立てる、話す、読む、書く――こうした仕事をしている“脳の言葉のネットワーク”が傷つくからです。』[1][2]
多くの人では、言葉に関係する脳の働きは、左側の大脳半球を中心にしています。[1]
そのため、脳梗塞や脳出血によって左側の大脳の言語ネットワークが傷つくと、失語症が起こることがあります。
失語症は、決して特殊な後遺症ではありません。
2025年版のCanadian Stroke Best Practice Recommendationsでは、脳卒中後の約21~38%に失語症がみられるとされています。[3]
今回は、
「脳卒中になると、なぜ失語症が起こるのか?」
という疑問について、できるだけ難しい医学用語を使わず、日常の会話を思い浮かべながら説明していきたいと思います。
そもそも私たちは、どうやって「言葉」を使っているの?
私たちは普段、
「今聞こえた音は何という言葉だろう?」
「この言葉には、どんな意味があるのだろう?」
「次にどの単語を使えばいいだろう?」
などと、一つひとつ考えながら会話をしているわけではありません。
たとえば誰かに、
「今日のお昼、何を食べた?」
と聞かれたとします。
すると私たちは、ほとんど瞬間的に質問の意味を理解し、
頭の中から必要な言葉を探し、
「今日はカレーを食べました」
と答えることができます。
普段はあまり意識しませんが、このほんの数秒のやり取りの間にも、脳はたくさんの仕事をしています。
①相手の声を聞く
②その音を「言葉」として認識する
③言葉の意味を理解する
④自分が言いたい言葉を探す
⑤単語を正しい順番に並べる
⑥口から言葉として表現する
さらに、
「読む」
「書く」
こうした仕事を、脳の一か所だけで行っているわけではありません。
いくつもの脳の場所がそれぞれ役割を分担し、それらが神経の通り道でつながりながら、一つの「言葉」を作っています。[4]
患者さんやご家族に説明するときには、
『脳の中に「言葉をつくるチーム」がある』
と考えてもらうと、少しわかりやすいかもしれません。
そのチームには、
聞く係。
意味を理解する係。
必要な言葉を探す係。
文章を組み立てる係。
声として外に出すためにつなぐ係。
読むことや書くことに関係する係。
いろいろな役割があります。
その一つひとつが連携して、私たちは普段、ごく自然に会話をしています。
脳卒中で失語症が起こる「6つの理由」
① 「言葉を扱う脳」が傷ついてしまう
失語症を理解するうえで、まず知っておいていただきたいことがあります。
それは、
『言葉は「口」で作っているのではなく、「脳」で作っている』
ということです。
もちろん、実際に声を出すときには、舌や唇、喉などを使います。
しかし、
「何を話そうか」
「この言葉にはどんな意味があるのか」
「どの単語を選べばよいのか」
といったことを処理している中心は脳です。
多くの人では、こうした言語機能は左側の大脳半球を中心にしています。[1][2]
脳卒中によって、その言語に関係する領域や神経ネットワークが傷つくと、
口や舌が動いていたとしても、
言葉そのものをうまく扱えなくなることがあります。
これが失語症です。
② 「言いたい言葉」が見つからなくなる
失語症でとてもよくみられる症状の一つに、
『言葉が出てこない』
という症状があります。
医学的には『喚語困難(かんごこんなん)』などと呼ばれます。
たとえば、目の前にリンゴがあるとします。
本人には、
「これは何なのか」
がわかっています。
食べ物だということもわかる。
赤くて丸いこともわかる。
もちろん、食べたこともある。
それなのに、
「これは何ですか?」
と聞かれると、
「えーっと……」
「ほら、あの……」
「食べる……赤い……あれ……」
となってしまうことがあります。
『「リンゴ」という言葉だけが、どうしても出てこない。』
失語症では、こうしたことが起こります。
ASHA(American Speech-Language-Hearing Association)は、言葉をうまく取り出せない「喚語困難」は、失語症の非常に代表的な症状であるとしています。[2]
ここで大切なのは、
『リンゴを知らなくなったとは限らない』
ということです。
頭の中には、伝えたい内容がある。
リンゴが何かもわかっている。
でも、その内容と「リンゴ」という言葉をうまく結びつけることができない。
そんな状態だと考えると、イメージしやすいと思います。
③ 頭では伝えたいのに、文章としてうまく出せなくなる
失語症の患者さんの中には、
相手が話している内容は比較的よく理解できるのに、自分から話そうとすると言葉がなかなか出てこない方がいます。
たとえば、
「昨日は何をしましたか?」
と聞いたとします。
本当は、
「昨日は娘と一緒に近所の公園へ行きました」
と伝えたい。
頭の中には、その出来事があります。
ところが実際に口から出てくるのは、
「昨日……娘……公園……行った」
というような、短い言葉だけ。
一つひとつの言葉を探しながら、努力して話すことがあります。
従来、このような症状の代表例は『ブローカ失語』と呼ばれてきました。[1]
言葉の理解は比較的保たれていても、話すことに強い努力を必要としたり、文章が短くなったりすることがあります。
そして患者さん自身が、
『言いたいことがあるのに言えない』
ということを、よくわかっている場合があります。
言いたい。
でも、言葉が出てこない。
何度試しても、うまく伝えられない。
そのため、とても悔しそうにされたり、途中で話すことをあきらめてしまったりする方もいます。
失語症は、周囲から見えている以上に、ご本人にとってつらい症状になることがあります。
④ 「聞こえている」のに言葉の意味がわからなくなる
一方で、言葉は比較的流暢に出てくるのに、
『相手が話している言葉の意味を理解することが難しい』
という失語症もあります。
耳が聞こえないわけではありません。
声は音として聞こえています。
でも、その音を「意味のある言葉」として正しく処理することが難しくなるのです。
たとえば、
「テレビを消してください」
と言われたとします。
声そのものは聞こえている。
でも、「テレビ」「消す」という言葉の意味をうまく理解できない。
そのため、何をすればよいのかわからない。
そんなことが起こります。
一方で本人が話すときには、言葉は滑らかに出ているように聞こえることがあります。
ところが、よく聞いてみると、別の単語が混ざっていたり、話の内容がうまく伝わらなかったりすることがあります。
従来、この代表的な状態は『ウェルニッケ失語』と呼ばれてきました。[1]
ここで知っておいていただきたいことがあります。
話し方が滑らかだからといって、
『失語症が軽いとは限りません。』
「話すこと」と「理解すること」は、同じ「言葉」の機能に見えても、脳の中では異なる処理を必要とするからです。
⑤ 「話す」だけではなく、「読む」「書く」ことも難しくなる
失語症というと、多くの方は、
「言葉が出ない病気」
というイメージを持たれるかもしれません。
しかし、失語症は「話すこと」だけの障害ではありません。
『話す・聞いて理解する・読む・書く』
という、言葉に関係する複数の機能に影響する可能性があります。[1][2]
たとえば、
会話はある程度できるのに、新聞を読むと意味がわからない。
自分の名前は書けるけれど、文章を書こうとすると文字が出てこない。
文字そのものは見えているのに、そこに書かれている言葉の意味がわからない。
このようなこともあります。
文字が見えなくなったわけでもありません。
単に手が動かなくなっただけでもありません。
『脳の中で「文字」と「言葉」をつなぐ仕組みが障害されている』
可能性があるのです。
ですから失語症を評価するときには、
「話せるか、話せないか」
だけを見ても十分ではありません。
話す。
聞いて理解する。
読む。
書く。
それぞれの機能を丁寧に確認していく必要があります。[3]
⑥ 「言葉の場所」だけでなく、それらを結ぶ道が傷つくこともある
以前の医学では、
「ブローカ野は話す場所」
「ウェルニッケ野は言葉を理解する場所」
という説明がよく使われてきました。
この考え方は、失語症を理解するうえで今でも役に立ちます。
ただし、現在の神経科学では、それだけで言葉の働きすべてを説明することはできません。
言葉は脳の一か所だけで作られているのではなく、
『複数の脳領域と、それらを結ぶ神経のネットワーク』
によって処理されていると考えられています。[4]
たとえば、
言葉の意味を理解する場所は残っている。
言葉を作る場所も残っている。
ところが、その二つを結ぶ神経の通り道が脳卒中によって傷ついてしまった。
そうすると、それぞれの場所がある程度働いていたとしても、情報をうまくやり取りできなくなる可能性があります。
少し身近なたとえにすると、
営業部もある。
製造部もある。
それぞれの部署は働ける。
でも、電話もインターネットも切れてしまって、お互いに連絡が取れない。
そんな状態に近いかもしれません。
『失語症は、一つの場所だけを見るのではなく、「言葉のネットワーク全体」を考える必要があります。』
「失語症」と「ろれつが回らない」は同じではありません
ここは、患者さんやご家族にぜひ知っておいていただきたいところです。
脳卒中のあと、
「言葉がおかしい」
と言われる患者さんのすべてが、失語症とは限りません。
たとえば、
頭の中では、
「今日はいい天気ですね」
という文章がきちんとできている。
相手の話も理解できる。
読むこともできる。
書くこともできる。
ところが、舌や唇などをうまく動かせないため、
「きょーは、いい……てんき……」
と、ろれつが回らなくなることがあります。
これは代表的には『構音障害』と呼ばれます。
一方、失語症は、
『言葉そのものを理解したり、選んだり、組み立てたりする脳の働きの障害』
です。
また、発話に必要な動きを脳内でうまく計画できない『発語失行』が併存することもあります。[1]
実際の患者さんでは、失語症、構音障害、発語失行などが同時に起こることもあります。
ですから、
『「しゃべりにくい=失語症」と決めつけないこと』
がとても重要です。
何が障害されているのかによって、必要なリハビリテーションの考え方も変わります。
失語症があるからといって、「何もわかっていない」と考えない
失語症の患者さんと接するとき、もう一つ、とても大切なことがあります。
質問しても、なかなか答えられない。
物の名前を言えない。
文章をうまく話せない。
その様子を見ていると、
「この人は、私の言っていることを何もわかっていないのではないか」
と思ってしまうことがあります。
しかし、
『失語症があるというだけで、その人の考える力や人間としての理解力すべてが失われたと判断することはできません。』
言葉にしてうまく表現できないことと、何も考えていないことは、まったく同じではありません。
もちろん脳卒中では、失語症とは別に、記憶、注意、判断などの認知機能に障害が併存することもあります。
だからこそ、その人が何を理解できて、何が難しいのかを、一人ひとりきちんと評価する必要があります。
返事に時間がかかっても待つ。
短い言葉で話してみる。
必要であれば、文字や絵、ジェスチャーを使う。
そして、本人を会話から外さない。
こうした周囲の関わり方も、失語症の患者さんにとってとても重要です。
NIDCDや2025年Canadian Stroke Best Practice Recommendationsでも、家族を含むコミュニケーション相手への支援・訓練が重要とされています。[1][3]
同じ「失語症」でも、症状は人によって違います
「失語症」という一つの名前がついていても、患者さんの症状は同じではありません。
たとえば、3人の患者さんがいたとします。
Aさん
こちらが話している内容は、比較的よく理解できる。
でも、自分から話そうとすると、言葉がなかなか出てこない。
Bさん
たくさん話すことはできる。
しかし、違う言葉が混ざったり、こちらが話している内容を理解することが難しかったりする。
Cさん
普通の会話はかなりできる。
ところが、「時計」「鉛筆」「冷蔵庫」など、物の名前を聞かれると、なかなか言葉が出てこない。
3人とも「失語症」です。
しかし、
『困っている言葉の機能は同じではありません。』
従来は、症状の特徴から、ブローカ失語、ウェルニッケ失語、伝導失語、健忘失語、全失語などに分類することがあります。
ただ、実際の患者さんが教科書に書かれているように、一つの型へきれいに当てはまるとは限りません。
ASHAも、失語症の症状は一つのタイプに明確に分類できない場合があり、回復していく途中で症状の現れ方が変化することもあるとしています。[2]
だからこそ、
『「失語症があるか」だけではなく、「その人の言葉のどの機能が、どの程度障害されているのか」を見ることが大切です。』
脳卒中をおこした場所によっても、失語症の症状は変わります
脳卒中では、
『脳のどこが、どの程度傷ついたか』
によって症状が変わります。
多くの人では、言葉に関係するネットワークは左大脳半球を中心に存在しています。[1][2]
左前頭葉周辺
言葉を組み立てて表現する機能に強く影響すると、言葉が出にくく、短い言葉を一つずつ努力しながら話す症状が目立つことがあります。
左側頭葉周辺
聞いた言葉の理解などに関係する領域が障害されると、相手が話している内容を理解することが難しくなったり、言葉は滑らかでも内容が相手に伝わりにくくなったりすることがあります。
広い範囲が障害された場合
話すことも、理解することも大きく障害される『全失語』と呼ばれる重い状態になることがあります。[1]
ただし、実際の言語機能は非常に複雑です。
CTやMRIを見て、
「この場所が傷ついているから、必ずこの症状になる」
と、すべてを単純に決められるわけではありません。
『画像で脳の損傷部位を見ることと、実際に患者さんがどのように話し、理解し、読み、書けるのかを評価することの両方が大切です。』
「発症から時間がたったから」と、それだけで可能性を決めない
失語症の回復には、大きな個人差があります。
脳卒中の大きさ。
損傷した場所。
失語症の重症度。
現在残っている言語機能。
年齢や全身状態。
どのようなリハビリテーションを受けられるか。
発症後の最初の数か月で、大きく改善する方もいます。
一方で、慢性期になったあとも、言葉やコミュニケーション能力が改善する方がいることも報告されています。
2024年の脳卒中後失語症に関するレビューでは、
『言語機能の回復は発症後何年にもわたって続く可能性がある』
ことが述べられています。[5]
ただし、ここは誤解してはいけません。
『「時間がたっていても必ず回復する」という意味ではありません。』
反対に、
『「半年たったから、もう何をしても変わらない」と一律に判断することも適切ではありません。』
大切なのは、経過した時間だけを見るのではなく、
現在どの機能が残っているのか。
どの機能が障害されているのか。
そして、その人にとって何を目標にするのか。
それを一つずつ考えていくことです。
失語症のリハビリテーションで大切なこと
失語症に対する中心的なリハビリテーションは、言語聴覚士などによる言語・コミュニケーション訓練です。
2025年のCanadian Stroke Best Practice Recommendationsでは、脳卒中後の失語症に対して、その人の必要性、目標、重症度に応じた言語・コミュニケーション療法へのアクセスが強く推奨されています。[3]
ただし、失語症のリハビリは、
「正しい単語を言えるようにする」
ことだけが目的ではありません。
家族に自分の気持ちを伝えられる。
買い物ができる。
電話やスマートフォンを使える。
仕事で必要な会話ができる。
言葉だけで難しければ、文字や絵、ジェスチャーを使って伝えられる。
こうした、
『その人が生活の中でコミュニケーションできること』
も、とても大切な目標になります。
失語症のリハビリは、患者さんだけが行うものではありません
失語症のリハビリテーションを考えるとき、私たちが特に大切だと考えていることがあります。
それは、
『リハビリをするのは、患者さんだけではない』
ということです。
失語症になったばかりのころ、多くの患者さんは一生懸命、自分の気持ちや考えを伝えようとします。
「これを言いたい」
「家族にわかってほしい」
そう思って、何とか言葉を探します。
何度も言い直します。
別の言い方も試します。
ところが、
言葉が出てこない。
言おうとした言葉とは違う言葉になってしまう。
一生懸命話しているのに、相手に伝わらない。
そんな経験が何度も続くと、患者さん自身が少しずつ疲れてしまうことがあります。
「話しても、どうせ伝わらない」
「また間違えるくらいなら、もう話さなくてもいい」
そう思うようになり、以前より話そうとすることが少なくなってしまう方もいます。
失語症によるコミュニケーションの難しさは、患者さんのフラストレーションや社会的な孤立、生活の質の低下につながることが知られています。[3]
だからこそ、患者さんが言葉を探している時間を、
『話せない時間』
と考えるのではなく、
『一生懸命、伝えようとしている時間』
として見てあげることが大切だと、私たちは考えています。
そして、もう一つ、実際のご家族との会話の中でよく見かけることがあります。
いつも患者さんのそばにいるご家族が、
患者さんがうまく話せないことをつらそうに感じて、
先回りして、すべてを代弁してしまうことです。
たとえば患者さんが、
「昨日……えーっと……」
と一生懸命言葉を探している。
すると奥様が、
「昨日は娘が来たって言いたいんです」
と、すぐに答えてしまう。
もちろん、ご家族は患者さんを困らせようとしているわけではありません。
むしろ、まったく逆です。
『つらそうだから助けてあげたい』
『言えないことを代わりに言ってあげたい』
という、ご家族の優しさから行われていることがほとんどです。
患者さんが旦那様なら奥様が。
奥様が患者さんなら旦那様が。
毎日一緒に生活しているからこそ、
「この人は、たぶんこう言いたいんだろう」
ということも、よくわかります。
そのため、本人が話し終わる前に、ご家族が言葉を補ってしまうことがあります。
しかし、毎回すぐに答えを代わってしまうと、
患者さん自身が、
言葉を探す。
自分の方法で相手に伝える。
本当に伝わったかどうかを確かめる。
うまく伝わらなければ、別の言い方を試してみる。
といったコミュニケーションを経験する機会が、少なくなってしまう可能性があります。
だからといって、
『家族は何も助けてはいけない』
という意味ではありません。
患者さんを困らせたまま、いつまでも待ち続ければよいということでもありません。
大切なのは、
『代わりに話すこと』と『話せるように支えること』は違う、
ということです。
患者さんが言葉を探しているときには、まず少し待ってみる。
それでも言葉が出てこなければ、
「食べ物のこと?」
「昨日のこと?」
「家族のこと?」
と、いくつか選択肢を示してみる。
指さしやジェスチャーを使ってもらう。
紙に文字を書いたり、簡単な絵を描いたりしてもらう。
そして、患者さんが自分の力で伝えられたときには、
「わかったよ」
と、きちんと伝える。
こうした毎日のやり取りそのものが、失語症の患者さんにとって大切なコミュニケーションの練習になります。
2025年のCanadian Stroke Best Practice Recommendationsでは、失語症の患者さんと会話する家族などに対する『Supported Conversation(会話を支援する方法)』の訓練が強く推奨されています。また、家族は評価から治療までの一連の過程に参加し、コミュニケーションを支援する方法について教育・訓練を受けることが推奨されています。[3]
ASHA(American Speech-Language-Hearing Association)でも、患者さん本人だけではなく、配偶者や介護者などのコミュニケーションパートナーに、ジェスチャー、絵、ヒントの出し方、確認の仕方などを教える『Conversational Coaching』などが、失語症治療の一つとして紹介されています。[2]
ですから失語症のリハビリテーションは、
患者さんが病院や施設で、言語聴覚士の前に座って言葉の練習をする。
それだけではありません。
自宅へ帰ったあと、
旦那様とどう話すのか。
奥様とどう話すのか。
子どもや孫とどのように会話するのか。
毎日の生活の中で、患者さんが「自分で伝える」機会をどう作っていくのか。
そこまで含めて考える必要があります。
私たちは、
『失語症のリハビリは、患者さん一人だけで行うものではなく、ご家族も一緒になって進めていくもの』
だと考えています。
ご家族が患者さんの代わりに、すべてを話してあげるのではなく、
患者さん自身が伝えられるように、少し待つ。
難しそうなときには、必要なところだけ手助けする。
言葉だけで伝わらなければ、文字や絵、ジェスチャーも使う。
そして何より、
『あなたの言いたいことを聞きたい』
という姿勢で向き合う。
患者さんにとって、
「自分の言葉を待ってくれている」
「自分の伝えたいことを聞こうとしてくれている」
と感じられることも、とても大切です。
それもまた、失語症のリハビリテーションの大切な一部なのです。
脳卒中再生医療センターが考える「失語症」
脳卒中再生医療センターでは、脳梗塞・脳出血などによる後遺症を対象に、『骨髄由来間葉系幹細胞を用いた再生医療と脳卒中後のリハビリテーション』に取り組んでいます。[6]
当センターのホームページでも、失語症を脳卒中後にみられる代表的な言語障害の一つとして紹介しています。[7]
ただし、ここで知っておいていただきたいことがあります。
『再生医療を行えば失語症が治る、と単純に考えることはできません。』
失語症に対する再生医療・細胞治療が、すべての患者さんに有効な標準治療として確立しているわけではありません。
この点を曖昧にしたまま、再生医療だけを強調するべきではないと考えています。
まず、
言葉を理解する力はどの程度残っているのか。
言葉を頭の中から取り出すことが難しいのか。
文章を組み立てることが難しいのか。
読むことや書くことにも障害があるのか。
失語症以外に、構音障害や発語失行、高次脳機能障害が加わっていないか。
こうしたことを、一つずつ考えていく必要があります。
そしてもう一つ、とても大切なのが、
『患者さんの周囲にいるご家族が、どのように関わっているか』
ということです。
患者さん自身に「伝えたい」という気持ちがあっても、うまく伝わらない経験が続けば、少しずつ話すことをあきらめてしまうことがあります。
反対に、ご家族が心配するあまり、すべてを先回りして代弁してしまえば、患者さん自身が言葉を探し、伝える機会が少なくなる可能性があります。
そのどちらも、
患者さんやご家族が悪いという話ではありません。
失語症という難しい症状と、どう付き合えばよいのかわからない中で起こることです。
だからこそ私たちは、
『「失語症」という病名だけを見るのではなく、その人が今、何を理解でき、何を伝えることができ、どこで困っているのかを見ることが大切だと考えています。』
さらに、
『失語症のリハビリは、患者さんだけではなく、ご家族も一緒になって進めるもの』
だと考えています。
患者さん本人の状態をきちんと見ながら、
ご家族にも、どのように声をかければよいのか。
どこまで待てばよいのか。
どんなときに手助けすればよいのか。
そういったことを一緒に考えていく。
そのうえで、患者さん一人ひとりに、どのような治療やリハビリテーションの選択肢があるのかを考えていくことが重要です。
最後に
昨日まで普通に会話をしていた人が、
突然、言葉を話せなくなる。
家族の話を理解できなくなる。
自分の名前さえ、うまく言えなくなる。
失語症は、ご本人だけでなく、ご家族にも大きな戸惑いを与える後遺症です。
目の前にいる大切な人と、昨日まで当たり前にできていた会話が、急にうまくできなくなる。
これは、ご本人にとっても、ご家族にとっても、とても大きな変化です。
しかし、外から見えている「話せない」という症状だけを見てはいけません。
本当に考えるべきなのは、
『なぜ、その言葉が出てこないのか。』
ということです。
言葉が頭の中から見つからないのか。
文章として組み立てられないのか。
聞いた言葉の意味が理解できないのか。
読むことや書くことにも障害があるのか。
あるいは、失語症ではなく、構音障害や発語失行が大きく影響しているのか。
原因や症状が違えば、必要な支援やリハビリテーションも変わります。
そして、もう一つ忘れてはいけないのは、
『言葉にできないことと、何も考えていないことは同じではありません。』
ということです。
時間がかかっても待つ。
短い言葉で話しかける。
文字や絵を使う。
指さしでもいい。
言葉が出てこないからといって、ご本人を会話の中から外さない。
ご家族がすべてを代わりに話すのではなく、
患者さん自身が、
「伝えたい」
「話したい」
と思える環境をつくる。
そして、困ったときには、必要な分だけ少し手を貸す。
それもまた、失語症のリハビリテーションです。
失語症のリハビリは、患者さん一人だけで行うものではありません。
『患者さんとご家族が、一緒になってコミュニケーションを取り戻していく。』
その視点が、とても大切だと私たちは考えています。
脳卒中再生医療センターでは、脳卒中後遺症について正しい知識をできるだけわかりやすくお伝えしながら、患者さん一人ひとりの状態を考え、その方とご家族にどのような選択肢があるのかを一緒に考えていきます。
参考文献
[1]National Institute on Deafness and Other Communication Disorders(NIDCD)
Aphasia.
NIH Publication No. 97-4257. December 2024.
失語症の定義、原因、左大脳半球との関係、症状、診断、治療、家族によるコミュニケーション支援について参照。
[2]American Speech-Language-Hearing Association(ASHA)
Aphasia – Practice Portal.
失語症を左半球を中心とする言語ネットワークの障害として捉える考え方、話す・理解する・読む・書く機能、症状の多様性、コミュニケーションパートナーへの支援について参照。
[3]Heart & Stroke Foundation of Canada.
Canadian Stroke Best Practice Recommendations – Language and Communication.
2025年版。脳卒中後失語症の頻度(21~38%)、評価、言語・コミュニケーション療法、家族・コミュニケーションパートナーへの支援について参照。
[4]Han Y, et al.
The role of language-related functional brain regions and white matter tracts in network plasticity of post-stroke aphasia.
Journal of Neurology. 2024;271(6):3095–3115.
脳卒中後失語症における言語関連脳領域、白質神経路、言語ネットワークと可塑性について参照。
[5]Tilton-Bolowsky VE, Hillis AE.
A Review of Poststroke Aphasia Recovery and Treatment Options.
Physical Medicine and Rehabilitation Clinics of North America. 2024;35(2):419–431.
失語症の回復に影響する因子、慢性期を含む長期的な改善可能性、言語療法について参照。
[6]脳卒中再生医療センター
「再生医療のリハビリ」「骨髄幹細胞について」
骨髄由来細胞を用いた再生医療およびリハビリテーションの取り組みについて参照。
[7]脳卒中再生医療センター
「脳卒中(脳梗塞・脳出血)後遺症とは」
脳卒中後の言語障害として失語症・構音障害を紹介している公式ページを参照。
