―「もう遅い」と諦める前に知ってほしい、脳の回復力と再生医療の可能性―
「先生、脳梗塞になってから、もう5年もたっています」
「リハビリもずいぶん頑張りました。でも、これ以上は良くならないと言われました」
「今さら再生医療を受けても、意味はあるのでしょうか?」
脳卒中再生医療センターには、このようなご相談が寄せられます。
発症してから1年、3年、5年。なかには10年以上が経過している方もおられます。
長い年月をかけてリハビリを続け、それでも思うように動かない手足や、なかなか改善しないしびれに悩み続けている。
そのような患者さんにとって、新しい治療を検討することは、決して簡単な決断ではないと思います。
私の考えをお伝えします。
脳梗塞から何年たっていても、今の状態をもう一度評価し、再生医療という選択肢を検討する意味はあります。
ただし、「再生医療を受ければ必ず良くなる」ということではありません。
なぜ私がそう考えているのか。
今回は、脳が持っている回復の仕組みと、脳卒中再生医療の可能性について、できるだけ分かりやすくお話ししたいと思います。
脳梗塞から6か月たつと、脳は回復しなくなるのでしょうか?
脳梗塞の患者さんが、よく耳にする言葉があります。
「回復するのは最初の6か月まで」
確かに、脳梗塞によって障害された神経機能は、発症後の数週間から数か月の間に大きく改善することが多く、時間がたつほど自然な回復の速度は遅くなる傾向があります。
これは医学的な事実です。
しかし、ここには大きな誤解があります。
「発症後6か月を過ぎると、脳が回復する能力そのものがなくなる」という意味ではないのです。
脳には、神経回路のつながりや働き方を変える能力があります。
これを「神経可塑性(しんけいかそせい)」と呼びます。
そして、この神経可塑性は、発症から6か月で突然なくなるものではありません。
2023年に発表された慢性期脳卒中患者のリハビリテーションに関するレビューでは、47件のランダム化比較試験が検討され、発症から6か月以上経過した患者さんでも、運動機能や生活の質が改善し得ることが報告されています。[1]
もちろん、すべての患者さんが改善するわけではありません。改善の程度にも個人差があります。
しかし、発症から年月が経過していても、脳と身体には変化する余地が残っている可能性があるのです。
脳は壊れた道路を迂回するように、新しい道を探すことがあります
神経可塑性という言葉は難しく聞こえるかもしれません。
少し例え話をしてみましょう。
私たちの脳には、非常にたくさんの神経細胞があり、それぞれが道路のようなネットワークでつながっています。
例えば、右手を動かそうとするとき。
脳から出された命令は、神経という道路を通って筋肉に伝わります。
ところが脳梗塞が起こると、脳の一部の神経細胞が傷つき、道路が通れなくなってしまいます。
その結果、手足を動かす命令がうまく届かなくなるのです。
では、その道路が壊れたら、もう目的地へ行く方法はないのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
大きな道路が通れなくなっても、別の道を使って目的地へ向かえることがあります。
脳にも、これに似た働きがあります。
傷つかずに残った神経回路が働き方を変えたり、使われていなかった神経同士のつながりが強まったりすることで、失われた機能の一部を補える場合があるのです。
これが神経可塑性の重要な働きです。
リハビリテーションは、繰り返し身体を動かし、感覚を確かめることで、こうした神経回路の働きを引き出そうとする治療です。
ただし、ここで覚えておいていただきたいことがあります。
神経可塑性が残っていることと、必ず元の身体に戻れることは同じではありません。
それでも、年月がたった脳に変化する力が残っているという事実には、大きな意味があると私は考えています。
では、再生医療は脳にどのような働きをするのでしょうか?
ここからが、脳卒中再生医療のお話です。
脳梗塞によって失われた神経細胞が、時間の経過とともにすべて元通りになるわけではありません。
だからこそ、医学の研究者たちは、傷ついた脳が持つ修復の仕組みを何とか支えられないかと考えてきました。
その研究の一つが、間葉系幹細胞(MSC)を用いた再生医療です。
間葉系幹細胞とは、骨髄や脂肪などの組織に存在する細胞で、さまざまな生理活性物質を放出し、周囲の細胞の働きに影響する性質が研究されています。
当センターでは、患者さんご自身の骨髄から採取した「骨髄由来間葉系幹細胞」を用いています。
それでは、この細胞を投与すると、脳の中では何が起こると考えられているのでしょうか。
1.神経細胞を守る環境を整える可能性
脳梗塞が起こると、神経細胞の損傷だけではなく、その周囲で炎症反応など、さまざまな変化が起こります。
間葉系幹細胞には、免疫細胞や炎症反応の働きを調整する作用が研究されています。
こうした作用によって、残っている神経細胞が働きやすい環境をつくれるのではないかと考えられています。
ただし、数年前に起こった脳梗塞の周囲でも同じような効果が得られるかどうかは、まだ十分に解明されていません。
2.神経の働きを支える物質を放出する可能性
間葉系幹細胞は、神経細胞の生存や機能に関係する「神経栄養因子」などを放出することが知られています。
代表的なものに、BDNF(脳由来神経栄養因子)があります。
簡単に言えば、神経細胞が元気に働くことを助ける「応援の合図」のような物質です。
こうした物質が、傷ついた脳の修復過程や神経回路の変化を支える可能性が研究されています。
3.血管や血流を支える可能性
脳の神経細胞が働くためには、酸素や栄養を届ける血管が必要です。
間葉系幹細胞は、血管の形成に関係するVEGFなどの物質を放出することが報告されています。
この作用によって、血管の修復や血管新生を促す可能性が、主に基礎研究で検討されています。
ただし、慢性期の脳梗塞患者さんに点滴することで、新しい血管が十分に形成され、後遺症が改善することまで確立されているわけではありません。
4.脳が持つ可塑性を支える可能性
ここまでの働きをまとめると、再生医療の理論が見えてきます。
間葉系幹細胞を利用して、脳が本来持っている修復や神経回路の再編成を支えられないか。
これが、脳卒中再生医療における重要な研究課題の一つです。
私は、この考え方に再生医療の大きな魅力があると思っています。
ただし、ここは正しく理解する必要があります。
間葉系幹細胞を静脈から投与した場合、その細胞がすべて脳に入り込み、新しい神経細胞に変わるわけではありません。
むしろ、細胞から分泌される物質や免疫系への作用などを通じて、間接的に働く仕組みが研究されています。
こうした働きは「パラクライン作用」などと呼ばれています。[2]
発症から何年もたった患者さんに、再生医療の効果はあるのでしょうか?
これが患者さんにとって、最も気になるところだと思います。
実際に人を対象とした臨床研究では、間葉系幹細胞を用いた治療によって、神経症状や日常生活動作などが改善する可能性が報告されています。
2024年に発表されたメタ解析では、15件のランダム化比較試験と15件の非ランダム化研究、合計1,217人のデータが分析されました。
その結果、一部の神経学的評価や日常生活機能において、改善を示す結果が得られています。[3]
これは、再生医療の可能性を考えるうえで、注目すべき研究結果だと思います。
一方で、この研究には発症からの時期、細胞の種類、投与方法などが異なる患者さんが含まれています。
したがって、結果をそのまま「脳梗塞から5年、10年たった患者さんに骨髄由来間葉系幹細胞を点滴した場合の効果」と考えることはできません。
さらに、2024年に発表された慢性期脳梗塞に限定したシステマティックレビューでは、採用基準を満たしたのは4研究、合計69人でした。
改善を示唆する結果がある一方、研究規模が小さく、偽薬を用いた比較試験も不足していることが指摘されています。[4]
そして2026年7月25日に公表された、26件のシステマティックレビュー・メタ解析をまとめた包括的な研究では、幹細胞治療による機能改善の可能性が認められる一方、エビデンスの確実性は多くの評価項目で「低~中等度」にとどまると結論づけられています。[5]
つまり、期待できる研究結果はありますが、慢性期脳梗塞に対する幹細胞治療は、効果が十分に確立した標準治療ではありません。
それでも私は、さらなる研究を続ける意義のある医療分野だと考えています。
まだ答えが出ていないからこそ、正確な評価と研究が必要なのです。
例えば、脳梗塞から5年たった方なら、何を考えるべきでしょうか?
ここで、一人の患者さんを想像してみてください。
5年前に脳梗塞を発症した70歳の男性です。
右手と右足に麻痺が残っています。
杖を使えば短い距離は歩けますが、長く歩くと疲れてしまいます。
右手で物をつかむことはできますが、細かい動作は苦手です。
ご本人は、こうおっしゃいます。
「昔のように元のように戻らならなくてもいい。でももう少し楽に歩けたら…、妻と旅行に行きたいんです。」
私は、この言葉がとても大切だと思います。
この方にとっての治療目標は、単に筋力の数字を上げることではありません。
もう一度、奥様と旅行に行けるようになることです。
では、そのために何が必要でしょうか。
まず、歩きにくい原因を詳しく調べなければなりません。
筋力が弱いのか。
足の感覚が十分に残っていないのか。
筋肉の緊張が強すぎるのか。
バランスが取りにくいのか。
関節が硬くなっているのか。
原因が違えば、必要な治療も変わります。
適切なリハビリテーションや痙縮治療など、すでに有効性が確認されている治療で改善を目指せる部分もあるかもしれません。
そのうえで、再生医療を追加する意義があるかどうかを検討します。
ここで重要なのは、「脳梗塞から5年」という数字だけで、治療の可能性を決めないことです。
発症からの期間は確かに重要ですが、それだけで治療適応を判断できるものではありません。
私が再生医療とリハビリテーションの両方を大切にする理由
再生医療とリハビリテーションは、まったく同じ役割を持つものではありません。
リハビリテーションは、実際に身体を動かし、感覚を確かめ、繰り返し練習することで、脳と身体の働きを改善しようとする治療です。
一方、間葉系幹細胞を用いた再生医療では、細胞からのさまざまな作用によって、修復に関わる環境を整えられる可能性が研究されています。
私は、この二つを組み合わせるという考え方に大きな可能性を感じています。
例えば、運動学習が進みやすい環境を細胞治療によってつくり、そのうえで適切なリハビリテーションを行う。
もし、このような組み合わせが実際に有効であれば、慢性期の脳梗塞患者さんにとって、新たな治療の可能性が開かれるかもしれません。
ただし、現時点で、再生医療を追加すればリハビリの効果が必ず高まるということは証明されていません。
これからさらに検証が必要な課題です。
脳卒中再生医療センターが大切にしていること
当センターでは、患者さんご自身の骨髄から採取した骨髄由来間葉系幹細胞を培養し、静脈点滴によって投与する再生医療を行っています。
骨髄の採取は原則として1回です。
採取した細胞は培養し、品質管理や無菌検査などを行ったうえで、計3回の点滴投与を行う方法を採用しています。
また、当センター内には細胞培養加工施設(CPC)を設け、細胞の取り扱いや培養工程の管理を行っています。
こうした体制は、細胞の品質と安全管理を大切にするという当センターの考え方に基づくものです。
もちろん、細胞の品質管理を徹底することと、患者さんの後遺症が改善することは別の問題です。
だからこそ、私は患者さんの治療前の状態を正しく評価し、治療後に何が変化したのかを確認することが重要だと考えています。
そして、再生医療には、骨髄採取時の出血や感染、細胞投与時のアレルギー反応、塞栓症などのリスクがあります。まれな合併症や長期的な安全性についても、十分な情報が得られていない部分があります。
自由診療による経済的な負担も含め、患者さんには良い面だけでなく、こうしたリスクや不確実性についても知っていただく必要があります。
詳しくは、当センターの骨髄幹細胞についてとリスク及び副作用についてをご覧ください。
医師であり、脳梗塞を経験した一人として
私は医師として長年、脳卒中の患者さんと向き合ってきました。
そして、私自身も右小脳梗塞を経験しています。
医師として病気を理解していることと、患者として後遺症に悩むことは、まったく違う経験でした。
それまで当たり前にできていたことが、ある日突然できなくなる。
このまま元の生活に戻れないのではないかという不安。
少しでも良くなりたいという気持ち。
患者になったことで、こうした思いを以前より身近に感じるようになりました。
私自身、再生医療を受け、リハビリテーションも行いました。
そして身体機能は回復していきましたが、その経験だけで再生医療の効果が証明されたと考えているわけではありません。
私自身の体験については、「医師の僕が脳梗塞になった」でもお話ししています。
こうした経験を経て、現在の私が大切にしていることがあります。
それは、患者さんが「もう無理だ」と思っていることに対して、本当にほかの可能性はないのか、医学的に考え続けることです。
再生医療が、その答えの一つになるかもしれません。
あるいは、再評価によって別のリハビリテーションや治療が見つかるかもしれません。
大切なのは、一つの治療方法にこだわることではなく、患者さんが望んでいる生活に少しでも近づける方法を探すことだと思っています。
脳梗塞から10年たっていても、まずは相談してください
脳梗塞から1年。
3年。
5年。
そして10年。
年月が経過するほど、治療やリハビリテーションによって得られる改善には、さまざまな制約が生じることがあります。
しかし、それだけで、すべての可能性が失われたと判断することはできません。
私は、患者さんに「必ず良くなります」と安易にお約束することはできません。
それでも、今の医学には何ができるのか。
現在の脳と身体に、どのような機能が残っているのか。
再生医療を検討することが、その患者さんにとって意味のある選択になるのか。
そこを一緒に考えたいと思っています。
再生医療の素晴らしさは、すべてを治せることではありません。
これまで十分な治療方法がなかった病気に対して、新しい可能性を探り続けていることにあると、私は考えています。
治療を受けるかどうかは、十分な説明を聞いてから決めていただいて構いません。
まずは、ご自身の今の状態と、これから考えられる選択肢について知っていただきたいのです。
「もう何年もたっているから」と、相談することまで諦めないでください。
脳卒中再生医療センターは、脳梗塞の後遺症と向き合いながら、もう一度前に進みたいと願う患者さんの力になれるよう、これからも取り組んでまいります。
医療法人大雅会 ふくとみクリニック
脳卒中再生医療センター
院長 福富康夫
参考文献・医学的根拠
[1]慢性期にも機能回復の余地があること
Paolucci T, et al. A rehabilitative approach beyond the acute stroke event: a scoping review about functional recovery perspectives in the chronic hemiplegic patient.
Frontiers in Neurology. 2023年9月15日公開。
47件の臨床試験を検討したレビュー。発症6か月以降のリハビリテーションについて検討しています。
[2]間葉系幹細胞の作用機序
Potential Mechanism and Perspectives of Mesenchymal Stem Cell Therapy for Ischemic Stroke: A Review.
Global Medical Genetics. 2024年。
炎症調整、神経栄養因子、血管新生などの作用について解説したレビュー。
[3]脳梗塞に対するMSC治療のメタ解析
Shen Z, et al. Efficacy and safety of mesenchymal stem cell therapies for ischemic stroke: a systematic review and meta-analysis.
Stem Cells Translational Medicine. 2024年8月19日公開。
30研究、1,217人を解析。複数の評価項目で改善が示唆されています。(研究ごとの患者背景や細胞製品に違いがあります)
[4]慢性期脳梗塞に限定したレビュー
Kurniawan M, et al. Mesenchymal stem cells therapy for chronic ischemic stroke—a systematic review.
Asian Biomedicine. 2024年10月31日公開。
4研究、69人。慢性期患者での可能性を報告する一方、研究規模や比較試験の不足を指摘しています。
[5]幹細胞治療の最新包括的レビュー
Kaliyeva V, et al. Human clinical evidence on stem cell–based therapies for ischemic stroke: An umbrella review with emphasis on mesenchymal stem cells.
Journal of International Medical Research. 2026年7月25日公開。
26件のシステマティックレビュー・メタ解析を総合的に評価。治療効果の可能性が示唆される一方で、根拠の限界や長期安全性の課題を指摘しています。
※根拠の確実性は、研究デザイン、研究規模、結果の一貫性などを踏まえて示したものです。患者さん一人ひとりの治療成功率を表す数字ではありません。
