―「手を握りたい」「指を動かしたい」。その願いに、脳の仕組みと新しい治療の可能性から向き合う―
「先生、腕はここまで上がるようになったんです。でも、指が思うように動かないんです」
「手を握ろうとしても力が入らない。握れても、今度は指を開けない」
「もう一度、右手で箸を持ちたいんです」
脳梗塞後の患者さんにとって、手や指が自由に動かないことは、日常生活の大きな負担になります。
腕が上がるようになった。肘も曲げられるようになった。ところが、指先だけがなかなか思うように動かない。
ご家族からすると、不思議に感じるかもしれません。
腕を上げられるほど回復したのなら、指も動くようになりそうなものです。
しかし、実際にはそう簡単ではありません。
腕を大きく動かすことと、指を一本ずつ細かく動かすことでは、脳に求められる働きが異なるからです。
そして、指が動かない理由を正しく理解することは、今後のリハビリテーションや治療を考えるうえで、とても大切です。
今回は、脳梗塞後に指が動かなくなる仕組みと、手指の回復の可能性、さらに再生医療がどのような役割を果たすことを目指しているのかについて、お話ししたいと思います。
なぜ腕は上がるのに、指だけが動かないのでしょうか?
まず、私たちが普段どのように手を動かしているのかを考えてみましょう。
例えば、机の上にあるコップを取るとします。
最初に腕を伸ばし、コップのところまで手を運びます。
次に指を開いてコップを包み込み、落とさない程度の力で握ります。
そして口元まで運び、飲み終わったらコップを置き、指を開いて手を離します。
私たちは何気なく行っていますが、実はとても複雑な動作なのです。
腕を動かす。
指を開く。
物を握る。
握る力を調節する。
最後に指を離す。
これらの動作を実現するために、脳は多くの筋肉へ絶えず細かな命令を送っています。
なかでも重要なのが、「皮質脊髄路(ひしつせきずいろ)」と呼ばれる神経の通り道です。
指を細かく動かすための神経の道
皮質脊髄路は、脳から脊髄へ運動の命令を伝える、重要な神経の通り道です。
特に、一本一本の指を別々に動かしたり、親指と人差し指で小さな物をつまんだりする動作に深く関わっています。
例えば、ピアノを弾くときの指の動きや、シャツの小さなボタンを留める動作を思い浮かべてください。
これらは単に力が強ければできるわけではありません。
必要な筋肉だけを適切なタイミングで動かし、ほかの筋肉が余計な動きをしないように調整する必要があります。
この細かな調整に、皮質脊髄路が重要な役割を果たしています。
一方、腕を大きく動かしたり、姿勢を保ったりする働きには、皮質脊髄路だけでなく、脳幹から脊髄へ伝わる「網様体脊髄路(もうようたいせきずいろ)」など、ほかの神経回路も関わっています。
そのため、脳梗塞によって一部の神経回路が障害されても、別の回路の働きなどによって、腕の大きな動きがある程度保たれたり回復したりすることがあります。
ところが、指を一本ずつ自由に動かすことは、依然として難しい場合があるのです。
つまり、「腕が上がるのに指が動かない」という現象には、脳の神経回路の違いが関係していると考えられます。
ただし、腕と指を動かす神経が完全に分かれているわけではありません。また、どの神経回路がどの程度関わっているかは患者さんによって異なります。
皮質脊髄路が巧緻運動に重要であることは十分に確立されています。一方、ほかの運動経路が脳卒中後の回復をどの程度補うかについては、動物実験やヒトでの研究が進んでいますが、個人差も大きく、まだ解明されていない部分があります。[1]
脳梗塞後、指が動かなくなる原因は一つではありません
ここで、もう一つ知っていただきたいことがあります。
同じ「指が動かない」という症状でも、患者さんによって原因が異なるということです。
① 指を動かす命令が十分に伝わらない
脳梗塞によって運動に関係する脳の領域や神経の通り道が障害されると、指を動かす筋肉へ十分な命令が届かなくなります。
そのため、患者さんは一生懸命指を動かそうとしているのに、思うように動かすことができません。
これは本人の努力が足りないからではありません。
脳から筋肉へ命令を伝える仕組みに障害が起きているためです。
② 指を曲げることはできても、伸ばすことができない
脳梗塞後の手指麻痺では、指を曲げる動きが見られても、伸ばして開く動きが難しいことがあります。
例えば、タオルを握ることはできるのに、握ったタオルを手放せない。
あるいは、指を開こうとすると、かえって強く握り込んでしまう。
このような状態には、指を伸ばす筋肉の麻痺だけでなく、筋肉の緊張が異常に高まる「痙縮(けいしゅく)」や、複数の筋肉が一緒に動いてしまう現象が関係していることがあります。
手の機能を回復させるためには、握る力だけではなく、指を開き、必要なときに物を離せるようになることも重要なのです。
③ 指の感覚が低下している
指の筋肉は動いていても、物を触った感覚や、指がどこにあるのかを感じる力が低下している場合があります。
例えば、コップを握っているつもりでも、どのくらい力を入れているのか分からない。
そのため、コップを落としてしまったり、必要以上に強く握ったりすることがあります。
手を自由に使うためには、「動かす力」と「感じる力」の両方が必要なのです。
感覚については、以前の院長ブログ「なぜ脳梗塞後、手は動くのに感覚が戻らないことがあるのか?」でも詳しくお話ししています。
④ 筋肉や関節が硬くなっている
長期間、手指を十分に動かせない状態が続くと、筋肉や腱、関節周囲の組織が硬くなる場合があります。
この状態では、脳からの運動命令だけでなく、手指そのものが動きにくくなっていることがあります。
そのため、リハビリでは、筋力だけを見るのではなく、関節がどの程度動くのか、痙縮があるのか、痛みがないかなども評価する必要があります。
例えば、こんな違いがあります
ここで、二人の患者さんを想像してみてください。
Aさん:腕は上がるが、指を動かす力が弱い
脳梗塞後、肩や肘の動きはかなり回復しました。
ところが、親指と人差し指で小さな物をつまもうとしても、うまく力が入りません。
この場合、指を細かく動かす運動機能の障害が中心である可能性があります。
Bさん:手を握れるが、指を開けない
脳梗塞後、ある程度の握る力は戻ってきました。
しかし、手を開こうとすると指が強く曲がってしまいます。
この場合、指を伸ばす筋肉の麻痺に加えて、痙縮などが関係している可能性があります。
二人とも「脳梗塞後、指が動かない」という状態ですが、障害の仕組みは同じではありません。
したがって、必要なリハビリテーションや治療も異なるのです。
手指の麻痺を改善するためには、まず、なぜ動かないのかを正しく評価することが出発点になります。
脳梗塞後、指が動くようになる可能性はあるのでしょうか?
患者さんやご家族にとって、最も気になる問題だと思います。
結論からお話しすると、脳梗塞後に手指の運動機能が回復する可能性はあります。ただし、その程度や回復までの期間は患者さんによって大きく異なります。
2010年に医学誌『Stroke』に発表された研究では、脳卒中患者188人を対象に、発症後早期の肩と指の動きから、その後の上肢機能の回復を調べています。
この研究では、発症後早い段階で肩を動かし、指を自分の意思で伸ばすことができる患者さんほど、6か月後に手の機能が回復する可能性が高いことが示されました。[2]
ここで注目していただきたいのは、「指を伸ばすこと」が重要な評価項目になっていることです。
単に握力があるかどうかだけでなく、指を自分の意思で開けるかどうかも、手の機能を考えるうえで大切なのです。
ただし、この研究は脳梗塞だけではなく脳卒中患者を対象としたもので、発症直後の予後予測に関する研究です。
現在指が伸ばせない患者さんが、将来も絶対に伸ばせないという意味ではありません。
発症早期の指の伸展能力が上肢機能の回復予測に役立つことには、前向き観察研究の裏付けがあります。ただし、個々の患者さんの回復を確実に予測できるものではありません。[2]
発症から6か月以上たっていても、回復の可能性はあるのでしょうか?
あります。
脳梗塞後の機能回復は、発症から比較的早い時期に大きく進む傾向があります。
しかし、6か月を過ぎたからといって、脳の働きが完全に固定されるわけではありません。
脳には、経験や練習によって神経回路の働きを変化させる「神経可塑性」という性質があります。
慢性期でも、適切な練習によって上肢機能が改善する場合があります。
ただし、長期間経過した重度の手指麻痺が、誰でも大きく改善するという意味ではありません。
重要なのは、今の状態を評価し、どの機能に改善の可能性があるかを考えることです。
この点については、「脳梗塞から何年もたっています。今から再生医療を検討する意味はありますか?」でも解説しています。
指を動かすためには、どのようなリハビリが大切なのでしょうか?
脳梗塞後の手指麻痺に対しては、患者さんの状態に合わせたリハビリテーションが重要です。
2025年に更新されたカナダの脳卒中リハビリテーション指針では、患者さんにとって意味のある動作を、繰り返し、段階的に練習することが強く推奨されています。[3]
例えば、
- 指を曲げたり伸ばしたりする
- タオルをつかんで離す
- コップを持ち上げて置く
- 大きな物から小さな物へ、つまむ練習を進める
- ボタンを留める、箸を使うなど、生活に必要な動作を練習する
といった方法があります。
ただし、これは誰にでも同じ練習を勧めるという意味ではありません。
重度の麻痺がある場合には、手を支えながら動かす方法や、電気刺激を組み合わせた練習などが検討されます。
また、痙縮が強い場合には、ボツリヌス療法などによって筋肉の過剰な緊張を和らげる治療が選択肢になることもあります。[4]
ボツリヌス療法は麻痺そのものを治す治療ではありませんが、指の開きやすさ、痛み、手の清潔保持などの改善に役立つ場合があります。
ここで大切なのは、ただ何度も手を握るだけでなく、その手で何をできるようになりたいのかを考えて練習することです。
なお、無理に指を引っ張ることや、痛みを我慢して繰り返し動かすことは避け、専門職の指導のもとで行ってください。
目的を持った反復練習は、脳卒中後の上肢リハビリテーションで強く推奨されています。電気刺激やボツリヌス療法などは、症状や適応に応じて選択する治療です。[3][4]
では、脳梗塞後の手指麻痺に再生医療はどのような可能性を持っているのでしょうか?
ここからは、私たち脳卒中再生医療センターが取り組んでいる再生医療について、お話ししたいと思います。
手指の麻痺に悩んでいる患者さんにとって、「もう一度、指が動くようになる可能性はないのだろうか」という思いは切実です。
従来のリハビリテーションは、残されている神経回路の働きを引き出し、日常生活で使える機能を高めることを目的としています。
それに対して、再生医療では、脳が回復しようとする際の環境そのものに働きかけることができないかという研究が進められています。
間葉系幹細胞は、脳の回復をどのように助けるのでしょうか?
私たちのセンターでは、患者さんご自身の骨髄から得られる間葉系幹細胞を用いた治療に取り組んでいます。
間葉系幹細胞は、さまざまな物質を放出し、周囲の細胞や組織に働きかける性質を持つ細胞です。
脳梗塞に対する研究では、主に次のような作用が検討されています。
① 神経細胞が働く環境を整える可能性
間葉系幹細胞から放出される因子が、神経細胞の生存や神経回路の変化を支える可能性が研究されています。
② 炎症反応を調節する可能性
脳梗塞後に生じる炎症反応を調節し、組織が回復しやすい環境に働きかける可能性が検討されています。
③ 血管や神経回路の修復を支える可能性
血管新生や神経回路の再編成に関係する作用が、主に基礎研究で報告されています。
ここで誤解していただきたくないのは、投与した幹細胞がそのまま新しい神経細胞となり、失われた神経と入れ替わることが証明されているわけではない、ということです。
現在、重要視されているのは、細胞が周囲へ働きかけることによって、脳の回復を支える可能性があるということです。
手指の麻痺に対する効果は、どこまで分かっているのでしょうか?
2026年7月25日に公表された、脳梗塞に対する幹細胞治療のアンブレラレビューでは、26件のシステマティックレビュー・メタ解析が検討されました。[5]
その結果、神経症状や日常生活動作、運動機能などについて、改善の可能性を示す研究が報告されていました。
一方、細胞の種類、投与方法、治療時期、評価方法が研究によって異なり、運動機能改善についての科学的根拠の確実性は低いと評価されています。
しかし、この研究にはさまざまな種類の細胞治療が含まれています。
そのため、この結果をそのまま、当センターで行っている自己骨髄由来間葉系幹細胞の静脈投与による効果として扱うことはできません。
そして、特に重要なことがあります。
現在の医学的根拠では、間葉系幹細胞の静脈投与によって、動かなかった指がどの程度動くようになるのかを正確に予測することはできません。
手指の細かな運動を対象にした、質の高い臨床研究をさらに積み重ねる必要があります。
神経修復に関わる作用は主に基礎研究で検討されており、脳梗塞後の運動機能改善を示唆する臨床研究もあります。しかし、手指の巧緻運動に対する明確な有効性はまだ確立していません。長期的な安全性についても、引き続き検証が必要となってきます。[5]
私たちが「再生医療とリハビリテーション」の両方を大切にする理由
私は、脳梗塞後の患者さんの回復を考えるとき、再生医療だけでなく、リハビリテーションをとても重要なものと考えています。
例えば、指を動かすための神経回路を考えてみましょう。
脳が運動の命令を出す。
その命令が神経を通って筋肉に届く。
指が動き、その結果が感覚として脳に伝わる。
そして脳は、その情報を参考にしながら次の動きを調整します。
この一連の働きを繰り返すことが、手を上手に使うために必要なのです。
仮に再生医療によって神経回路が働く環境を改善できるとしたら、その環境を生かすためのリハビリテーションにも意味があるのではないか。
これが、私たちが再生医療とリハビリテーションを組み合わせることを重視する理由の一つです。
ただし、再生医療とリハビリテーションを組み合わせることで、リハビリ単独よりも手指の回復効果が確実に高くなると証明されたわけではありません。
これは今後、引き続き適切な比較研究によって検証すべき重要な課題です。
私たち脳卒中再生医療センターでは、自己骨髄由来の間葉系幹細胞を院内の細胞培養室で培養・品質管理し、静脈投与する治療を行っています。
そして、患者さんの症状や残されている運動機能を評価し、それぞれに合わせたリハビリテーションの指導を行っています。
再生医療は新しい選択肢の一つですが、効果が必ず全員に現れるものではありません。
治療を検討する場合には、期待できることだけではなく、限界、費用、安全性についても十分に理解したうえで判断することが大切です。
指が動かない。その状態を、もう一度見直してみませんか?
脳梗塞後の手指麻痺は、患者さんによって原因も程度も異なります。
少しは動くけれど、物をつまめない。
握れるけれど、手を開けない。
指は動くけれど、力の加減ができない。
まったく動かない。
同じ手の麻痺でも、評価すべきことは一人ひとり違います。
だから私は、「指が動かない」という言葉だけで、今後の可能性を判断するべきではないと考えています。
どのような運動が残っているのか。
どの筋肉が動きにくいのか。
感覚の障害はないのか。
痙縮や関節の硬さはないのか。
これまでのリハビリで、どのような変化があったのか。
こうしたことを丁寧に確認していく必要があります。
そして、従来のリハビリテーションに加え、再生医療という新しい選択肢についても、その可能性と限界を正しく理解していただきたいと思います。
再生医療で必ず指が動くようになると約束することはできません。しかし、今の状態を詳しく調べ、これから何ができるのかを考えることには、大きな意味があります。
「もう一度、自分の手で箸を持ちたい」
「家族の手をしっかり握りたい」
「自分の指で、もう一度文字を書きたい」
一つひとつは小さな動作かもしれません。
しかし、患者さんにとって、その一つができるようになることは、日常生活における大きな喜びにつながります。
私たち脳卒中再生医療センターは、そうした患者さんの願いに向き合いながら、医学的根拠を大切にし、一人ひとりにとって何ができるのかを考え続けたいと思っています。
脳梗塞後の手指麻痺でお悩みの方は、まず現在の症状やこれまでの経過について、お聞かせください。
再生医療が適切な選択肢となるかどうかも含めて、今後の治療について一緒に考えていきたいと思います。
※脳梗塞の既往がある方でも、手指の麻痺が突然現れたり、急に悪化した場合は、新たな脳卒中の可能性があります。様子を見ず、直ちに119番で救急要請してください。
参考文献・医学的根拠
[1]神経回路と運動回復Akalu Y, et al. Identifying the role of the reticulospinal tract for strength and motor recovery: A scoping review of nonhuman and human studies. Physiological Reports. 2023.
原文・DOI
皮質脊髄路と網様体脊髄路の役割を整理し、大きな運動と細かな運動に関わる神経回路について検討した総説。
[2]手指機能の回復予測Nijland RHM, et al. Presence of finger extension and shoulder abduction within 72 hours after stroke predicts functional recovery: early prediction of functional outcome after stroke: the EPOS cohort study. Stroke. 2010;41:745–750.
原文・PubMed
脳卒中患者188人を対象とし、発症早期の指の伸展と肩の外転が、その後の上肢機能の回復予測に役立つことを報告。
[3]手指のリハビリテーションHeart & Stroke Foundation of Canada. Canadian Stroke Best Practice Recommendations: Delivery of Stroke Rehabilitation to Optimize Functional Recovery, Part Two. 2025年版。
公式ガイドライン
課題指向型の反復練習、機能的電気刺激、対象を限定したCI療法など。
[4]脳卒中後の痙縮治療Heart & Stroke Foundation of Canada. Range of Motion and Post-Stroke Spasticity. 2025年版。
公式ガイドライン
痙縮に対する評価、関節可動域管理、必要に応じたボツリヌス療法。
[5]間葉系幹細胞による脳梗塞治療Kaliyeva V, et al. Human clinical evidence on stem cell-based therapies for ischemic stroke: An umbrella review with emphasis on mesenchymal stem cells. Journal of International Medical Research. 2026;54(7). 2026年7月25日オンライン公表。
原文・PubMed
26件のシステマティックレビュー・メタ解析を検討。幹細胞治療による神経症状や運動機能の改善可能性が報告されている一方、治療法の不均一性や研究規模、長期安全性などの課題を指摘。
