脳梗塞の患者さんを診ていると、ときどき不思議なことがあります。
「最初はまったく動かなかった手が、少しずつ動くようになってきた」
「腕も上がるようになった」
「指も少しずつ動かせるようになった」
それなのに、
「触られている感じがよく分からない」
「物を持っていても、持っている感じがしない」
「手の位置がよく分からない」
「手は動くのに、自分の手ではないような感じがする」
という患者さんがおられます。
患者さんやご家族からすると、
「手がここまで動くようになったのだから、感覚も一緒に戻ってくるのでは?」
と思われるかもしれません。
しかし、実際にはそうとは限りません。
脳梗塞後の「運動の回復」と「感覚の回復」は、必ずしも同じ速さ、同じ程度で進むわけではないからです。
脳卒中後の感覚障害に関する研究でも、運動機能と感覚機能は密接に関係している一方で、それぞれ異なる回復経過をたどる患者さんがいることが報告されています。[1][2]
手を「動かす」ことと、手で「感じる」ことは同じではありません
まず知っていただきたいのは、
脳から手を動かす仕組みと、手から脳へ感覚を伝える仕組みは、完全に同じではない
ということです。
簡単に言えば、脳と手の間では常に二つの方向の情報が行き来しています。
脳から手へ送られる情報
脳 → 手
脳が、
- 「手を上げよう」
- 「指を曲げよう」
- 「コップをつかもう」
という命令を出します。
これが「運動」です。
手から脳へ戻ってくる情報
手 → 脳
手から、
- 「コップを触っている」
- 「冷たい」
- 「指がこの位置にある」
- 「これくらいの力で握っている」
という情報が脳へ戻ってきます。
これが「感覚」です。
つまり、手を使うという一つの動作の中でも、
脳から出ていく情報と、脳へ戻ってくる情報の両方が必要なのです。
「アクセルは動くけれど、メーターが壊れている」ような状態
患者さんには、車に例えると分かりやすいと思います。
車のアクセルを踏めば、車は前に進みます。
これは「運動」に近い働きです。
しかし、安全に車を運転するためには、
- 速度計
- バックミラー
- ハンドルから伝わる感覚
- 車体の傾き
- 道路との位置関係
など、たくさんの情報が必要です。
もしアクセルは正常に動いていても、速度計もミラーもセンサーも故障していたらどうでしょう。
車を動かすこと自体はできます。
しかし、上手に運転することは非常に難しくなります。
脳梗塞後に、
「手は動くけれど感覚が悪い」
という状態も、これと少し似ています。
手を動かすための機能は回復してきている。
しかし、手から脳へ戻ってくる感覚情報が十分ではない。
そのため、
「動くけれど、うまく使えない」
ということが起こるのです。
実際に「運動と感覚の回復が一致しない」ことがあります
これは単なるイメージの話ではありません。
2015年にStroke誌に発表された研究では、脳卒中患者116人について、発症後1週、6週、12週、26週の時点で、運動機能と位置覚などの感覚機能をロボットを用いて評価しています。[2]
発症1週間後の時点では、
- 位置覚の障害:48%
- 手の動きを感じ取る感覚の障害:68%
が認められました。
そして重要なのは、感覚機能と運動機能が必ずしも同じ時期に回復するわけではなかったことです。
ここで「脳卒中患者」と記載しているのは、この研究が脳梗塞だけを対象とした研究ではないためです。
脳梗塞について説明する記事であっても、研究結果を引用するときには、その研究が実際に対象とした患者さんの範囲を正確に示すことが大切です。
さらに2023年の研究では、脳卒中後の患者45人を詳しく調べたところ、
42%の患者さんで、手の位置覚と運動機能の変化が一致していませんでした。[3]
つまり、
- 運動は良くなったが感覚はあまり変わらない
- 感覚は良くなったが運動はあまり変わらない
という患者さんが実際に存在したということです。
「手が動くようになったのだから、感覚も同じように戻っているはず」
とは言えないことが分かります。
なぜ回復する速さに違いが出るのでしょうか?
理由は一つではありません。
- 脳梗塞で傷ついた場所
- 脳梗塞の大きさ
- 運動に関係する神経回路がどの程度残っているか
- 感覚に関係する神経回路がどの程度残っているか
- 発症からどのくらい時間がたっているか
- これまでどのようなリハビリテーションを行ってきたか
こうした多くの要素が関係します。
そもそも脳の中で、運動と感覚は完全に同じ場所、同じ神経回路だけで処理されているわけではありません。
そのため脳梗塞によって傷ついた場所によっては、
運動に関係する機能は比較的残っているのに、感覚に関係する機能が強く障害される
ということが起こります。
逆のこともあります。
そもそも、脳梗塞でなぜ手足にしびれが出るのかについては、第1回で詳しく説明しています。 第1回「脳梗塞後の手足のしびれはなぜ起こるのか?」
「動くようになった」だけでは、本当の手の回復とは言えないことがあります
例えば、患者さんにコップを持ってもらったとします。
腕は動きます。
指も曲がります。
コップもつかめます。
一見すると、かなり回復しているように見えます。
ところが感覚が悪いと、
- コップをどのくらい強く握っているのか分からない
- 手から滑りそうになっていることに気づかない
- 熱いコップでも温度が分かりにくい
- コップを置いたときに手を離すタイミングが分かりにくい
ということがあります。
ボタンを留める。
財布から小銭を取り出す。
鍵を鍵穴に入れる。
箸を使う。
スマートフォンを操作する。
こうした日常の何気ない動作には、運動だけではなく細かな感覚が必要です。
そのため、
「手が上がるようになった」ことと「手が普通に使えるようになった」ことは、同じではありません。
目で見ていればできるのに、目を閉じるとできなくなる
感覚障害がある患者さんに特徴的なことがあります。
自分の手を見ている間は動かせる。
ところが目を閉じると、急に動作が難しくなることがあります。
なぜでしょうか。
本来であれば、私たちは目で見ていなくても、
- 「自分の腕がどこにあるか」
- 「指がどのくらい曲がっているか」
- 「手首がどちらを向いているか」
ということをある程度感じています。
これが「位置覚」や「固有感覚」と呼ばれるものです。
この感覚が低下すると、患者さんは目から入る情報を使って不足した感覚を補おうとします。
そのため、
「見ていればできる。見ないとできない。」
ということが起こります。
これは「気のせい」でも「集中力が足りない」からでもありません。
脳梗塞による感覚障害の一つとして考える必要があります。
感覚が悪いことに、本人が気づいていない場合もあります
感覚障害は、麻痺ほど外から見て分かりやすくありません。
腕が上がらなければ、誰が見ても分かります。
歩けなければ、それも分かります。
しかし、
- 触られている感覚が少し鈍い
- 指の位置が分かりにくい
- 物の硬さの違いが分かりにくい
という症状は、外から見ているだけでは分かりません。
患者さん自身も、
「なんとなく使いにくい」
「手に違和感がある」
程度にしか感じていないことがあります。
だからこそ、脳梗塞後の評価では、
動くかどうかだけではなく、感じることができているかどうかまで調べることが重要です。
感覚はあとから回復することもあるのでしょうか?
あります。
ただし、
「いつまでなら回復する」「何か月たったらもう絶対に回復しない」
と単純に線を引くことはできません。
脳梗塞患者101人を急性期、3か月、12か月で評価した研究では、感覚障害は全体として時間とともに改善する傾向が確認されています。[4]
一方で、梗塞した場所や感覚障害の種類によって回復経過は異なります。
したがって、
「手が動くようになったから、次は必ず感覚が戻る」
とは言えません。
反対に、
「運動だけ先に戻ったから、もう感覚は変わらない」
とも決めつけることはできません。
この「脳梗塞後のしびれや感覚障害は、どこまで回復する可能性があるのか」については、第3回で詳しく説明します。
第3回「脳梗塞後のしびれは治るのか?」
感覚のリハビリテーションという考え方
脳梗塞後のリハビリというと、
- 歩く練習
- 腕を上げる練習
- 手を握る練習
など、「動かす練習」を思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、感覚障害がある場合には、
- 異なる素材を触り分ける
- 物の硬さを区別する
- 手足の位置を確認する
- 触られた場所を答える
- 目を閉じた状態で手の位置を考える
といった、「感じること」を意識した訓練が行われることがあります。
ただし、この分野については慎重に考える必要があります。
感覚障害に対するリハビリテーションについては有望な研究もありますが、
「この方法を行えば感覚が必ず戻る」という治療法は、まだ確立されていません。
感覚障害に対して現在どのようなリハビリテーションが行われ、どこまで科学的根拠があるのかについては、 第4回で詳しく説明します。
第4回「脳梗塞後のしびれ・感覚障害にリハビリは本当に効くのか?」
「感覚がない」と「痛い」は別の問題です
脳梗塞後には、
「感覚が鈍い」
だけではなく、
- 「触られると痛い」
- 「冷たいものが強く痛く感じる」
- 「何もしていないのに焼けるように痛む」
- 「電気が流れるように痛い」
という症状が出ることがあります。
これは単純な感覚低下とは別に、
中枢性脳卒中後疼痛(Central Post-Stroke Pain:CPSP)
などを考える必要があります。
正式名称には「脳卒中」が入りますが、脳梗塞のあとにも起こります。
同じ「しびれ」という言葉を患者さんが使っていても、中身はまったく違うことがあるのです。
この問題については、第5回で詳しく取り上げます。
第5回「脳梗塞後、触ると痛い・冷たいものが痛いのはなぜ?」
ここに脳梗塞の治療の難しさがあります
脳梗塞の後遺症を、
- 「右手が動く」
- 「歩ける」
- 「歩けない」
という大きな分類だけで考えてしまうと、患者さんに実際に残っている問題を見落としてしまうことがあります。
手は動く。
しかし感覚がない。
足は動く。
しかし足の裏で床を感じにくい。
筋力はある。
しかし体の位置をうまく認識できない。
脳梗塞という病気が難しいのは、このように
一人の患者さんの中に、さまざまな障害が複雑に重なっていること
です。
だから私は、脳梗塞後の患者さんを見るときに、
「何ができないのか」
だけを見るのでは不十分だと考えています。
むしろ、
「どの機能が残っていて、どの機能が障害され、どの機能にまだ回復の余地があるのか」
をできるだけ細かく考えることが大切です。
では、脳梗塞再生医療にはどのような意味があるのでしょうか?
ここで再生医療についても、正確にお話ししておきましょう。
現在研究されている幹細胞を用いた脳梗塞再生医療は、
「幹細胞がそのまま新しい神経になって、壊れた神経と入れ替わる」
という単純な治療ではありません。
研究では、細胞から放出されるさまざまな因子、炎症反応への作用、血管新生や神経修復を取り巻く環境への作用などを通じて、脳が持っている回復の仕組みを支える可能性が検討されています。
しかし、ここで非常に大切なことがあります。
現在の科学的根拠から、「脳梗塞再生医療を行えば失われた感覚が必ず戻る」と断言することはできません。
2026年7月25日にオンライン公表された、虚血性脳卒中、つまり脳梗塞に対する幹細胞治療の26件のシステマティックレビュー・メタ解析をまとめたアンブレラレビューでは、神経症状、日常生活動作、運動機能などに改善の可能性が示される一方、治療法、細胞の種類、投与方法、治療時期などの違いが大きく、効果についてのエビデンスの確実性は多くの項目で低~中等度とされています。[5]
特に、感覚障害だけを取り出して、脳梗塞再生医療によって感覚が戻ると断言できる根拠は現時点では確認できません。
私たちが脳卒中再生医療センターで大切にしていること
脳梗塞再生医療を考える前に、
- その患者さんの脳のどこが障害されているのか
- どの程度運動機能が残っているのか
- 感覚はどの程度残っているのか
- 痙縮はあるのか
- 高次脳機能障害はないのか
- 発症からどのくらい経過しているのか
- これまでどのようなリハビリを行ってきたのか
- 現在もどのような変化が起きているのか
こうしたことを一つずつ見ていく必要があります。
私たち脳卒中再生医療センターで大切にしているのは、再生医療だけを切り離して考えることではありません。
脳梗塞によって患者さんの脳と身体に何が起きているのかをできるだけ詳しく理解したうえで、これから何ができるのかを考えることです。
今回お話しした、
「手は動くのに感覚が戻らない」
という症状も、そのための非常に重要な情報の一つです。
手が動くようになった。その先を見る
脳梗塞の患者さんにとって、動かなかった手が動くようになることは、とても大きな変化です。
しかし、そこで評価を終えてはいけません。
その手で、
- 物を感じられるのか
- 力加減ができるのか
- 見なくても手の位置が分かるのか
- 日常生活の中で本当に使えているのか
そこまで見て初めて、その患者さんの「手の回復」が見えてきます。
脳梗塞の後遺症は、単純ではありません。
だからこそ、一つひとつの症状を丁寧に見ていくことが大切です。
そして、まだ分かっていないことについては「分からない」と認めながら、分かっている医学的根拠を一つずつ積み重ねていく。
それが、脳梗塞治療と向き合ううえで大切なことだと私は考えています。
脳梗塞後のしびれ・感覚障害シリーズ
- 第1回 脳梗塞後の手足のしびれはなぜ起こるのか?
- 第2回 なぜ脳梗塞後、手は動くのに感覚が戻らないことがあるのか?
- 第3回 脳梗塞後のしびれは治るのか?
- 第4回 脳梗塞後のしびれ・感覚障害にリハビリは本当に効くのか?
- 第5回 脳梗塞後、触ると痛い・冷たいものが痛いのはなぜ?
参考文献
- Hoh JE, Semrau JA.
The Role of Sensory Impairments on Recovery and Rehabilitation After Stroke.
Current Neurology and Neuroscience Reports. 2025.
Published: March 6, 2025.
脳卒中後の感覚障害と運動機能との関係、感覚と運動の異なる回復経過についてまとめたレビュー。
論文を見る
- Semrau JA, Herter TM, Scott SH, Dukelow SP.
Examining Differences in Patterns of Sensory and Motor Recovery After Stroke With Robotics.
Stroke. 2015;46(12):3459-3469.
Published online: November 5, 2015.
脳卒中患者116人を発症後1、6、12、26週で評価し、感覚と運動が異なる回復経過を示すことを報告。
PubMedで論文情報を見る
- Zbytniewska-Mégret M, et al.
The Evolution of Hand Proprioceptive and Motor Impairments in the Sub-Acute Phase After Stroke.
Neurorehabilitation and Neural Repair. 2023;37:823-836.
Published: November 13, 2023.
45人中42%で、位置覚と運動機能の変化が一致しなかったことを報告。
論文全文を見る
- Kessner SS, et al.
Somatosensory Deficits After Ischemic Stroke.
Stroke. 2019;50:1116-1123.
Published: May 2019.
脳梗塞患者101人を急性期、3か月、12か月で評価し、感覚障害と梗塞部位・回復経過を検討した研究。
PubMedで論文情報を見る
- Kaliyeva V, et al.
Human clinical evidence on stem cell-based therapies for ischemic stroke:
An umbrella review with emphasis on mesenchymal stem cells.
Journal of International Medical Research. 2026;54(7).
Published online: July 25, 2026.
虚血性脳卒中に対する26件のシステマティックレビュー・メタ解析を統合し、
MSCを含む幹細胞治療の有効性とエビデンスの確実性を検討したアンブレラレビュー。
PubMedで論文情報を見る
